見えるもの、感じること

次男猫を見送って3ヶ月。彼がいないということはどういうことなのかについて、色々おもいを巡らせている。思い出は更新されない。それは悲しいことなのだろうか?不思議なことに、彼が持っていた性格はその後残りの3匹の猫たちが分担して引き継いでいるように感じることしばしばある。

そう考えると、次男もそれは私が見ていた・見えていた現象に過ぎず、私の勝手な思いが投影された世界でのできごとであったようにも思われる。

彼は私と過ごした9年間にどんな思いでいただろうか。何か通じるものはあったのだろうか。異次元の幻想が交わっただけだったのだろうか。

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時間の矢

意思決定の数理モデルを研究しているが、一段落したら物理をきちんと学んで時間論を考えてみたいと思っている。量子もつれと時間の矢の問題。学部時代からずっと継続している問題意識は「時間の矢」。今、意思決定の数理モデルを考える枠組みとしてGraph Model for Conflict Resolution(GMCR)を用いているのは、状態の不可逆性を表現できる仕組みだからで、それも「時間の矢」の正体に近づきたい気持ちからにほかならない。おそらく生きている間ずっと考え続けているんだろう。