世界のフリーズあるいは縮約

人は何かについて考えるときに、世界のすべてを知りえないので、一旦自分以外の世界をフリーズし、さらにフリーズされたすべてを理解することも分析することもできないので、自分の手に負える粗さまで縮約するだろう。そんな行いについて、この美しい世界を勝手にフリーズしたり、ましてやreductionまでしてしまうということについていつもいつも心から申し訳なくていたたまれない気持ちになる。

夕陽がどんな表情で燃え盛り雲のブルーやグレーと溶けて沈んでゆくのかについてのすべてを余すところなく絵画にしたり、詩にしたり音楽にできる才能があったらどんなに素敵だろう。

今年はそんな心の痛みを抱えつつ論文を3つまとめた。うまく世界に届きますように。2025年の大晦日に。

自分を構成するもの

AIツールが進化して、課題整理の壁打ちの相手をしてもらう頻度が増えた。

褒められたり気づかなかった点を指摘されたり、ありえない勘違い・思い込みに唖然とするなど。でも実は知らなかった情報や枠組みを教えてもらうことはほとんど全くなく、自分のアンテナや異なるバリューネットワークからの価値抽出能力は案外素晴らしいことに気づいた。

AIツールで回答がおかしくても、そっかその話説明してなかったごめん・・と部下zくらいの感覚にはなっていて腹は立たない。猫飼いなら誰でもわかるはずだ。

見てきたような嘘をしゃぁしゃぁとつくことも結構あるけれど、それはこちらの課題設定や情報の与え方が悪かったんだろうと思い、改善するなど。(猫は誠実なので見てきたような嘘はつかない)

AIツールへの指示の与え方を工夫するなかで、それでは指示を与える側の自分とは何なんだろう?何で構成されているのだろう??としばし考えた。

いろいろ分析する中で、Aiならどんなにとんちんかんでも的外れでも、がっかりすることはあっても傷つくことはない、ということに気づいた。甘いミルクティーを飲んでいまいましさを解消しプロンプトを変えれば良いだけのことだ。

ここ3年の間に2匹の猫と父を失い、落胆する知らせも多く、ロジックを粛々と修正すれば、プロンプトを修正すれば、試験結果に基づいて設計変更すれば、少なくとも何かがわかり、何かを進めることができるのでは、という考えに生きる望みを託している気がしている。

ロジック修正の他には掃除と料理。生身の人間(動物)は不可逆な物理的時間を過ごしている。それ(不可逆性)について自分で少しでも何かポジティブと考えられる活動をしている時、深く救われる感覚があるような気がするのだろう。シーシュポスの石ころがしに過ぎない、取るに足らないなにかであっても、何か意味を見出したいと願っていることが、生きていることなのかも知れない。

喪失と猫と再生

この2年で2匹の猫と父を失った。

母は10年前に他界しており、家族は残った2匹の猫だけになった。自分の座標軸が1本また1本と抜き取られゆらゆらする感覚があった。

座標軸が失われるとことばが出なくなった。

残りの猫と一緒にいるときだけ、自分がここにいること、生きていることを確認できるのだ。

見えるもの、感じること

次男猫を見送って3ヶ月。彼がいないということはどういうことなのかについて、色々おもいを巡らせている。思い出は更新されない。それは悲しいことなのだろうか?不思議なことに、彼が持っていた性格はその後残りの3匹の猫たちが分担して引き継いでいるように感じることしばしばある。

そう考えると、次男もそれは私が見ていた・見えていた現象に過ぎず、私の勝手な思いが投影された世界でのできごとであったようにも思われる。

彼は私と過ごした9年間にどんな思いでいただろうか。何か通じるものはあったのだろうか。異次元の幻想が交わっただけだったのだろうか。

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存在の境界線

この夏、次男猫を見送った。8才だった。

肺の持病が急速に悪化し、何の心の準備もないままに私を残して逝ってしまった。

別れの前は心が乱れ辛くて受け入れ難かったけれども、からだが冷たくなったも彼は私の中に同じように生きていて、その状態の違いについてうまく説明がつかなったし、今も同じ気持ちでいる。つまり、私にとって彼は息をしていてもしていなくても生きている。生化学的には変化が起こったのだろうけれども、私に対する作用は全く変わらずこの瞬間にも起きている。そのことについてずっと考えている。

自分の境界線

この世に生を受けた赤ちゃんはいつから自己を認識するんだろうか。自分と世界の境目はどうやって認識するようにプログラムされているんだろうか。他の人々が自分と世界の境目をどのように認識しているかといういことについて、人はどうやってわかることができるんだろうか。

何かが起こる、変化する、状態が遷移する、ということは、境目を超えたイベントが起こるということなんだろう。

ずっとそんなことを考えながら、世界とのinteractionを一瞬でも感じとることができたような気がした音楽やファッションや化粧品に没頭してみたりした。

手探りすればするほど世界はわからず、結局胎内にいた時に最も宇宙について知っていたのであって、そこから世界に出てから死ぬまで必死に手探りを続けるのが人生なのかもしれないとも思う。

Multi-colored eye

うちの次男猫はもともと左右の目の色が少し違って、左目はコパー、右目は琥珀だった。最近ふと気づいたら、左目がコパーになって右目は翡翠に近づいている。加齢とともにだんだん目の色が薄くなるのが普通らしいので、次第に翡翠に近づいていくのかも知れない。

オッドアイというのは人間にもあって、デヴィッド・ボウイとかキーファー・サザーランドなどは左右の目の色が違うそうだ。ミステリアスに見えるけれども、本人の見え方はどうなんだろう。

猫には、色は人間よりも粗く見えているらしいけれども、 人間には見えない波長の光が見えているらしいし、動くものを捉える目の能力も遥かに優れていて、人間には連続して見えるものが、猫にはコマ送りに見えたりしているらしい。

それでも一緒にいるとなにかお互いの波長を感じることがあって、共鳴というか共振しているように感覚を共有していることがあって、そんな時はお互いに(多分)生きてると感じているのだろう。

Miss Jane Maple

ミス・マープルは、セント・メアリ・ミード村でつましく暮らしている老女で、人間に対する鋭い洞察でスコットランドヤードも一目おく推理力を発揮する。クリスティの小説を読んでいた子どもの頃からミス・マープルが好きで、今も好きだ。忙しくたくさんの人に会いたくさんの体験をし、稼ぎ、買い物をしたからと言って世界に対する洞察力が磨かれるわけではない。猫と暮らしながら、ミス・マープルのようになれたらと願う。

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